【大統領も謝罪】黒人を標的にしたタスキギーの梅毒実験を分かりやすく解説

【大統領も謝罪】黒人を標的にしたタスキギーの梅毒実験を分かりやすく解説
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タスキギー梅毒実験とは、黒人が多く住むアラバマ州タスキギー市で、1932年から1972年までに行われた性感染症「梅毒」に関する臨床研究のことです。


研究の目的は梅毒の治療を行わなかった場合の症状の進行を長期にわたり観察することでした。今では治療法が確立され重症化することはほとんどないですが、当時は放置すれば心臓、血管、神経まで侵され、死に至る恐ろしい病気でした。


しかし、被験者である600人の黒人たちにはその事実を知らされることはなく、実験に参加すれば食事や医療、必要必需品が無料で与えられるという話に、貧困にあえぐ多くの黒人たちは飛びつきました。


結果、黒人男性の多くは必要な治療も受けられず100人以上が死亡。妻たちも感染し、20人近い子供たちが先天性の梅毒に感染した状態で生まれました。


そして、このタスキギー梅毒実験は「アメリカ歴史上最も忌まわしい生体実験」と言われ、1997年5月16日ビル・クリントン大統領は被験者に対し公式に謝罪しました。

タスキギーの梅毒実験の概要

採血されている参加者

1928年ノルウェー人研究者によるオスロでの実験結果として、数百人の白人男性を対象とした、梅毒に感染してなおかつ無治療であった場合の兆候について報告が行われました。


この研究は、すでに梅毒に感染していたが一定期間治療されなかった患者の経歴から情報をまとめた回顧的な研究で、アメリカ公衆衛生局のタスキギー梅毒研究グループはオスロの研究を基に、それを補完するために前向きな研究を行うことを決定しました。


被験者たちは貧困層の黒人600人を研究の対象にし、このうち399人は潜在的な梅毒感染者であり、未感染の対照群は201人でした。

梅毒にかかっていることは極秘にされていた

梅毒は他人に感染するリスクがあり、失明・難聴・精神疾患・心臓病・骨や中枢神経系の崩壊、そして最悪死亡につながる可能性があるにもかかわらず、診断結果を被験者に知らせることなく、梅毒にかかっていることを隠しました。


代わりに被験者には「悪い血液を治療している」と説明していました。当時の黒人コミュニティ内では、悪い血液とはあらゆる病気の集合体で死亡原因を指す言葉だったので、ほとんどの人は「無償で悪い血液の治療が行われている」と信じていたそうです。


また、研究が開始された当初から主要な医学の教科書は全ての梅毒を治療することを勧めていましたが、被験者の黒人たちが梅毒の治療に関する知識がなかったことを逆手に取り、研究のために見せかけの偽薬や無効な方法で診断をつづけていました。

梅毒の治療が確立されても研究は続行

1947年にはペニシリンの投与が梅毒に対する標準的な治療法として確立され、アメリカ連邦政府は医療プログラムを準備し、梅毒を撲滅するための緊急治療センターまで設け、研究地であるタスキギーでも行われていました。


しかし、研究者たちは被験者がそれに参加することを妨害し、この調査で得られた知見は全人類に利益をもたらすと信じ、適切な治療法が確立されてからも、どの被験者にも治療を施さず実験を続行しました。


その結果、1972年に研究が終了したとき生存していたのはわずか74名。参加当時から感染していた399人のうち28人が梅毒で死亡し、100人が関連する合併症で亡くなりました。


また、40人もの妻が感染し、19人の子供が先天性梅毒で生まれ「アメリカ合衆国の歴史上おそらく最も忌まわしい生体治療の研究実験」となりました。

内部告発により実験が明るみに

1960年代中盤には、サンフランシスコの性病研究者であるピーター・バクストンはタスキギーの実験について知り、それが非倫理的であると上司に懸念を表明しました。

内部告発者となったピーター・バクストン

バクストンは友人の報道記者にこの話を漏らし、その友人が関連通信のジーン・ヘラー記者に伝え、ヘラーは1972年7月にこの話を報道し、これによって一般の憤りが高まり、研究はついに停止されることになります。


1973年アメリカ議会はタスキギー実験に関する公聴会を開催し、研究の参加者と亡くなった人々の相続人は、1,000万ドルの和解金を受けることとなります。

クリントン大統領の謝罪

1997年5月16日ホワイトハウスでの式典でクリントン大統領が見守るなか、生存者のハーマン・ショーが演説。クリントンはタスキーギ梅毒研究の生存者と犠牲者の家族に謝罪した。

ビル・クリントン大統領は1997年にタスキギーの研究について謝罪の声明を出し「タスキギー梅毒実験の生存者たちに対して申し訳ない」と述べたあと「この人体実験は、米国政府による明白な人種差別の行為だった」と認め、非倫理的な行為について、米国政府として正式に謝罪しました。


また、少数民族の学生のための新たな奨学金制度を設け、より多くの黒人に医学的研究を生涯の職業として従事してもらえるように努力するとの声明も出し、過去の出来事について、直接の関与がないクリントン大統領が全米を代表して謝罪したことは黒人たちからも広く評価され、実験の被害者だけではなく多くの黒人たちが加害者を許すきっかけになったそうです。

なぜ黒人たちは参加したのか?

看護師であり研究のコーディネーター役となったユーニス・リバース(右の女性)

タスキギーの梅毒実験で疑問になるのが「なぜ多くの黒人たちが実験に参加したのか?」ということです。


この実験は1930年代の大恐慌時代に行われ、医療を受ける余裕のない貧しい下層階級の黒人を当初からターゲットになっており、彼らを誘う手段として「ミス・リバースの小屋」に行けるという特典が使われました。


具体的には、無料の健康診断が受けられ、軽い病気であれば無償で治療してもらえるという触れ込みもあったことや、診断日には温かい食事が提供されるというもので、さらには年金がプラスで支給されるという魅力的な交換条件がつけられていました。


そのため、貧しい生活を強いられていた当時の黒人にとって、被験者になることでさまざまな援助が受けれると思い、実験への参加がリスクよりも利益のある選択であると判断したため、多くの黒人たちが参加することになりました。


他にも「特別な無償治療の最後のチャンス」と題した誤解を招く手紙を送ったり、黒人の看護師をコミュニケーション役に起用し、実験に前向きになるよう信頼関係を築かせていました。


このように、貧しい生活を強いられていた背景を利用し、多くの黒人を実験に参加させていました。

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