1997年2月から5月にかけて、日本の神戸市須磨区で神戸連続児童殺傷事件が発生しました。この事件は、当時14歳の少年A(東 慎一郎:あずま しんいちろう)という中学生が小学生5人を次々に殺傷した連続殺傷事件です。
少年Aは自身を「酒鬼薔薇聖斗」と名乗っており、この名前から「酒鬼薔薇事件」や「酒鬼薔薇聖斗事件」とも呼ばれています。
神戸連続児童殺傷事件の概要
1997年2月から5月にかけて、神戸市須磨区で連続児童殺傷事件が発生しました。この事件では、5人の小学生が被害に遭い、そのうち2人が亡くなり、2人が重傷を負いました。
事件の犯人は、当時14歳の少年Aという中学3年生で、彼は「酒鬼薔薇聖斗」という名前を名乗っており、この事件は一般に「酒鬼薔薇事件」とも呼ばれています。
犯人が中学生という衝撃的な事件
この事件は通り魔的な性質を持ち、被害者の頭部が中学校の前に「声明文」とともに置かれるなど、非常に凶悪で特異なものでした。
犯人が普通の中学生であったことも、社会に大きな衝撃を与え、その後の少年法改正のキッカケにもなります。
兵庫県警察は捜査の過程で、少年Aが動物虐待行為を繰り返していたという情報や、被害者との顔見知りの関係などから、彼に対する疑いを早期に持っており、1997年の6月28日、現場近くに住むAに任意同行を求めたところ犯行を自供し逮捕されます。
3つの事件の詳細
酒鬼薔薇聖斗事件には、主に3つの悲惨な事件があります。
第一の事件
1997年2月10日の午後4時ごろ、神戸市須磨区の路上で小学生の女児2人がゴムのショックレス・ハンマーで殴られ、1人が重傷を負いました。
女児の父親は、犯人がブレザーを着て学生鞄を持っていたと聞き、近隣の中学校に犯人の特定ができるかもしれないと生徒の写真を見せてほしいと要望しました。
しかし、学校側は警察を通して要求してほしいと拒否しました。父親はその後、兵庫県警察に被害届を提出して生徒の写真の閲覧を再度要求しましたが、結局、写真は公開されませんでした。
この事実が明らかになった後、犯人が逮捕されたことで学校側に対して批判が起こりました。「この時点で何らかの対応をしていれば第二・第三の事件は防げたのではないか」という指摘や、「結果的に学校側は犯人をかばっていたと言えるのではないか」との非難がありました。
なお、この事件については被害者の家族の要望もあり、一部非公開とされていました。
第二の事件
第二の事件は、1997年3月16日の午後0時25分、神戸市須磨区竜が台の公園で、近くにいた小学4年生の女児Aに手を洗える場所はないかと尋ね、学校へ案内させた後、「お礼を言いたいのでこっちを向いて下さい」と言って女児を振り返らせ、八角玄翁(金槌の一種)で彼女を殴りました。
その後、犯人は逃走し、女児Aは病院に搬送されましたが、3月23日に脳挫傷により亡くなりました。
さらには、午後0時35分ごろ、別の小学3年生の女児Bの腹部を刃渡り13センチの小刀で刺し、彼女は2週間のけがを負いました。幸いにも女児Bは命に別条はなかったようです。
第三の事件
1997年5月24日、少年Aは人を殺したいという欲望から、自転車で町内を走りながら適当な被害者を探していました。偶然にも須磨区竜が台で小学5年生の男児を見つけ、近くのケーブルテレビアンテナ施設(通称タンク山)の入り口付近で男児を絞殺し、遺体を隠しました。

少年Aは絞殺が自分の願望であったため、手袋をして男児の後ろから腕を巻き付け、力を込めて首を絞めました。男児は大きな声を出し、抵抗したので、少年Aは男児を倒し、自分自身も男児に覆いかぶさりながら首を絞めました。
それでも男児はなかなか死なず、少年Aは男児を仰向けにし、馬乗りになって両手で首を力一杯絞めました。しかし、筋肉痛のような感覚が生じ、少年Aはナイフで殺そうと考えましたが、ナイフを忘れてしまったので、代わりに石で撲殺しようとしましたが、石が動かなかったため、少年Aは自分の運動靴の紐で絞殺しました。最終的に男児の心音が止まったことを確認し、彼が死んだと確信しました。
少年Aは供述で、男児を殺すことを楽しんでおり、彼が自分のものになった満足感を得たと話しています。そして、「この事件による満足感は、過去の殺人よりも強烈だった」とも語っています。
第三の事件で被害者となった男児の詳細
おそらく、第三の事件は「学校の校門に子供の頭が置いてある」ということから、世間的に一番詳細に知られている事件かもしれません。
ここでは、第三の事件で被害者となった男児の遺体処理の方法から、男児の首を学校の校門に置くまでの経緯を詳しく解説します。
男児の遺体を処理するまでの流れ
男児を殺害した少年Aは、死体の処理方法を考えるために発見を遅らせたいと思いました。周囲を見回すと、アンテナ施設の床下に草が生えており、フェンス越しでは床下が見えにくいと判断しました。
しかし、床下の入り口に南京錠がかかっており、施設内に入れなかったので、少年Aは南京錠を壊すことを考え、南京錠を壊すための糸ノコギリと新しい南京錠を入手する必要性を感じました。
少年Aは男児の遺体をそのままにして、コープリビングセンター北須磨店に向かい、そこで糸ノコギリと南京錠を万引きしました。万引きの理由は、「お金がなかった」「お金を出して買うと店員に顔を覚えられる可能性があった」と語っています。
再び男児のもとに戻った少年Aは、入り口にかかっていた古い南京錠を金鋸で切断し、男児を施設の中に引きずり込みました。しかし、鉄の建物と施設の入り口の間にアンテナが置かれており、遺体を引きずり込むことができなかったので、少年Aはアンテナをずらし、男児の遺体を床下に蹴り込みました。
男児の運動靴が近くに落ちているのに気付いた少年Aは、それを拾い上げて遺体のそばに置き、金鋸を落ち葉の下に隠し、入り口に新しい南京錠を取り付け、山を下りました。
その後、少年Aは友達と遊び、午後6時過ぎに家に帰りました。
このとき、男児が帰らないことが近所で話題となっており、Aの母親が男児の行方を尋ねると、少年Aは無関心な態度で「ふぅ~ん」と返答しただけだったそうです。
首を切っていみたいという欲求が湧く
夕食をとらずに寝た少年Aは、夜中に目覚め、当日の出来事を振り返りながら、「施設内に隠している糸ノコギリで人間の首を切ってみたい」という衝動に駆られました。
猫の首を切り落とす経験はあったが、人間の首を切ってみたいという欲求が、このときはじめて湧き上がったそうです。
そして、次の日に再びアンテナ施設に向かい、隠している糸ノコギリで男児の首を切ろうと考え、再び眠りにつきました。
男児の首を切るために自宅を出る
5月25日、少年Aはいつも通りに起床し、男児の首を切るために自宅を出ました。彼は大量の血が出ることを予想し、現場に血痕が残らないように黒いビニール袋を2枚用意し、金鋸を持ち出すために学校で使用している補助カバンとくり小刀を持ってきました。
男児は仰向けの状態であり、目は見開かれていました。Aは左手で男児の額を押さえながら首を切りました。この瞬間、人間の首を切っているという現実感に興奮を覚えたと述べています。
その後、Aは男児の髪を掴んで首の皮を引っ張り、頭を胴体から分離しました。しばらく頭部を地面に置きながら、自分が作り出したこの不可思議な映像を正面から鑑賞し、満足感に浸りました。なお、このときAは射精していたそうです。
しかしAはまだ男児の遺体に魂が残っていると思ったことや、男児の目が気に入らなかったため、くり小刀で両目を突き刺し、さらに両まぶたを切り裂き、口からそれぞれ両耳に向けて切り裂きました。
Aは「殺人をしている時の興奮を後で思い出すための記念品」として舌を切り取ろうとしましたが、死後硬直のためにできませんでした。また、Aは男児の血がたまったビニール袋から血を飲み、「金属をなめているような味がした」と述べています。
血を飲んだ理由としては、自身の血が汚れていると感じたため、純粋な子供の血を飲むことで清められると考えたからだと話しています。
その後、Aは男児の首を隠す場所を探すために、入角ノ池に行き、木が生え始めた場所にちょうど首が入る大きさの穴を見つけたので、ビニール袋に入れた男児の首を穴に隠し、首全体が見えるようにしました。
男児の首を近くで鑑賞すると新たな感動が得られるのではないかと期待しましたが、特に感動はなく「こんなものか」と思ったそうです。そして、数分間眺めた後、再びビニール袋に戻し、穴の中に隠しました。首の切断に使用した金鋸は、向畑ノ池に投げ捨てたそうです。
その夜もAは目を覚まし、物思いにふけつつ人間の死体が時間とともにどう変化するのかに興味を持ち始め、翌日も男児の首を見るために入角ノ池に行くことを考えました。
取調官からは、なぜ胴体部分を見に行かなかったのかと尋ねられましたが、Aは服を脱がせる必要があり、面倒くさかったため、またタンク山には他の人が登ってくる可能性があったため、行くことを考えなかったと答えました。
5月26日は通常通りの生活を送る
5月26日、男児の行方不明事件が発覚し、須磨警察署が午前11時40分に公開捜査が開始されます。
Aはこの日も通常通りの生活を送り、昼過ぎに男児の首をじっくりと鑑賞するために自転車で入角ノ池に向かい、男児の首を穴から取り出し、近距離で5〜6分間観察したそうです。
ただし、この時は興奮や感動はなく、変化が特にないことにがっかりし、興味を失ったため、男児の頭部を持ち帰ることにしました。
そして、Aは男児の頭部を置く場所を考え、自分が通っている神戸市立友が丘中学校が警察にとって盲点になるのではないかと思いつきます。中学生が自分が通う学校に男児の首を置くとは思わないだろうとし、自分への捜査の焦点が外れると考えたのです。
また、幼少期から親に「他人に罪をなすりつけてはいけない」と教えられて育ったため、男児を殺した自分に嫌悪感があり、責任を逃れたかったという思いもありました。
しかし、他人に罪をなすりつけるわけにはいかないため、自分自身を納得させるために、学校が男児を殺したと思いたかったそうです。これは単に学校に責任をなすりつけるための理由であり、実際には学校や教育によって自分がこうなったわけではないと供述しています。
そして、Aは男児の首をビニール袋に入れて自転車の前カゴに置き、家に帰りました。帰宅途中、Aは男児の首を洗うことを思いつき、土や木の葉で汚れた頭部を風呂場でタライに入れてホースで約15分間丁寧に洗いました。
洗う理由としては、殺害場所が特定されないように土や葉っぱなどを洗い流すためと、警察の目を惑わすための道具になってもらうためでした。Aは首を洗う際も興奮し、髪にクシを入れながら射精したそうです。
5月27日男児の頭部を正門に置く

5月27日の未明、Aは男児の頭部が入ったカバンを自転車に入れ、中学校の校門前に遺棄しました。Aは男児の首をビニール袋に入れ、手紙をジーパンのポケットに入れて準備しました。
両親に気付かれないようにするため、Aは部屋の窓から外へ出ました。友が丘中学校へ向かう途中、Aは歩道を通りましたが、誰にも会わずに校門前に到着しました。
そこで男児の髪の毛を持って首を取り出し、Aは正門の塀に首を置こうとしましたが、うまく据えることができず、再び場所を考えました。最終的にAは正門の鉄扉の中央付近に首を道路側に向けて置くことにしました。
手紙を取り出し、酒鬼薔薇聖斗の文字が見えるように縦に酒という文字を口にくわえさせました。Aはこの光景を5、6分間見ており、「学校の正門前に首が生えているという不思議な映像だなと思っていました」と供述しています。また、この時Aは強い性的興奮を感じ、何度も絶頂に達したと述べています。
男児の口が開いているので手紙を咥えさせる
Aは男児の首を校門に置くだけでは警察の目を逸らすには足りないと考え、さらに捜査をかく乱する方法はないかと考えた結果、男児の口が開いているので手紙を咥えさせることにしました。

【少年Aが男児の口に入れていた手紙の内容】
さあゲームの始まりです
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを
手紙は「偽りの犯人像」を表現するために最適だと思ったそうです。
また、適切な表現を考えるために、自室にある漫画を見て「積年の大怨に灼熱の裁きを」というフレーズによって、長年の恨みを抱いた者が犯行を行ったと思われ、年配の人物が犯人と思われるのではないかと考え、引用することにし、別の本で覚えていた言葉を組み合わせて手紙を完成させました。
ニュースを見た少年の反応
Aは当日テレビで男児の首が発見されたことを知りましたが、自分が置いたから当然発見されると思って特に驚きませんでした。
しかし、その日のうちに男児の胴体部分が「タンク山」の局舎床下で発見されたニュースを見て、「早すぎる」と驚いたそうです。
また、報道では犯人像を30-40代の男性としたり、黒のブルーバード(車)が目撃されたり、自分の自宅周辺以外の人物が犯人であると報じられていたため、これまでうまくいったならば自分が犯人ではないだろうと考えるようになり、Aは新たに「神戸新聞社宛ての手紙」を書くことにしました。
神戸新聞社宛ての手紙
6月4日、赤インクで書かれた第二の声明文が神戸新聞社に届きました。

神戸新聞社へ
この前ボクが出ている時にたまたま、テレビがついており、それを見ていたところ、報道人がボクの名を読み違えて「鬼薔薇」(オニバラ)と言っているのを聞いた
人の名を読み違えるなどこの上なく愚弄な行為である。表の紙に書いた文字は、暗号でも、謎かけでも当て字でもない。嘘偽りないボクの本名である。ボクが存在した瞬間からその名がついており、やりたいこともちゃんと決まっていた。しかし悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行動はとらないであろう やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない
だが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができない
そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人に相談してみたのである。すると彼は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすれば得るものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界を作っていけると思いますよ。」
その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。
しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。最後に一言この紙に書いた文でおおよそ理解して頂けたとは思うが、ボクは自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている。よって自分の名が読み違えられたり、自分の存在が汚される事には我慢ならないのである。今現在の警察の動きをうかがうと、どう見ても内心では面倒臭がっているのに、わざとらしくそれを誤魔化しているようにしか思えないのである。ボクの存在をもみ消そうとしているのではないのかね ボクはこのゲームに命をかけている。捕まればおそらく吊るされるであろう。だから警察も命をかけろとまでは言わないが、もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ。今後一度でもボクの名を読み違えたり、またしらけさせるような事があれば一週間に三つの野菜を壊します。ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである。
———— ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている ————
声明文の内容は、これまでの報道で「さかきばら」を「おにばら」と誤って読んだことに強く抗議し、再び間違った場合は報復すると宣言しています。また、Aは自分を「透明なボク」と表現し、自身の存在を世間にアピールするために殺人を犯したと述べています。
この声明文には、発見された男児に添えられていた犯行声明文と同じ文書が同封されていました。初めの犯行声明文は一部修正されて報道されましたが、神戸新聞社に届いた声明文に同封されていた犯行声明文は修正前と同じ文章でした。
神戸新聞社に届いた文面には、「人の死が見たくて見たくてしょうがない」と書かれていたため、この声明文はいたずらではなく犯人によるものであることが確定されました。
逮捕に至るまでの経緯
捜査関係者はAの作文を調査し、同一人物の筆跡であることをすぐ確認したのですが、Aの作文と二つの犯行声明文の筆跡鑑定は行われつつも、判断が困難であり、逮捕状を請求するには至りませんでした。
しかし、6月28日現場近くに住むAに任意同行を求めたところ犯行を自供したそうです。Aは当初犯行を否認していたが、取調官が第一の犯行声明文のカラーコピーを取り出して、「これが君の書いたものであるということは、はっきりしている。筆跡が一致したんや」と突きつけると、声を上げて泣き出し自供を始めました。
そして、午後7時5分、殺人及び死体遺棄の容疑でAを逮捕。同時に、通り魔事件に関しても犯行を認めました。
Aはその後の供述で、「新たに手紙を書くことで自分の筆跡が警察に分かってしまうと思ったが、警察の筆跡鑑定を甘く見ていた」と述べており、「失敗したなぁ〜」と供述したそうです。
Aが犯人と行き着いた理由
「Aが犯人ではないか?」となった理由は、事件直前に現場周辺で猫やハトなどの虐待事案があり、聞き込みなどを進めた結果、少年Aが浮上し、被害者男児と顔見知りであることなどから、比較的早期から少年Aに対する嫌疑を深めていたそうです。
そして、犯行声明文の内容を捜査し、Aの作文などを調べたら、すぐに同一人物の筆致だと分かったことで、6月28日現場近くに住むAに任意同行を求めたところ犯行を自供しました。
少年A(酒鬼薔薇聖斗)が逮捕されたあとの詳細から現在の様子
本記事は、神戸連続児童殺傷事件の加害者、酒鬼薔薇聖斗こと、当時14歳の少年A(東 慎一郎:あずま しんいちろう)が、逮捕されたあとの話から、現在どのような生活を送っているか解説します。逮捕されるまでは»【神戸連続児童殺傷事件】酒鬼薔薇聖斗が