本記事は、神戸連続児童殺傷事件の加害者、酒鬼薔薇聖斗こと、当時14歳の少年A(東 慎一郎:あずま しんいちろう)が、逮捕されたあとの話から、現在どのような生活を送っているか解説します。
逮捕されるまでは»【神戸連続児童殺傷事件】酒鬼薔薇聖斗が逮捕されるまでを分かりやすく解説をチェックしてください。
なお、この事件は、未成年による犯罪なので非公開な部分が多いです。
そのため、公開されている情報から、少年Aが逮捕されたあとの情報をまとめています。
逮捕後に分かった犯行動機
少年Aが逮捕されたあとに公開された情報では「性的欲求を満たしたい」というのが犯行動機と言われています。
一般の人とは異なる成長が見られる
一般的な人々は性的な発育が始まる前の段階で、性欲や性的な関心と暴力的な衝動は別々になる傾向にありますが、Aは性的な発育が始まった時点で性欲や性的な関心と暴力的な衝動が分離せず、動物に対する暴力による殺害と遺体の損壊が性的興奮と結びついていました。
一般的な感覚の男子は性的な発育過程にある際、同年代の女子や少し年上の女性を性的な対象として想像しながら自慰行為をし、性欲を解消し、肉体的・精神的な成長を遂げる傾向があります。
しかし、Aは動物を殺害して遺体を損壊することに性的な興奮を感じるようになり、猫を殺し遺体を損壊する際に性的な興奮や快楽を感じ、勃起や射精が起こりました。
そして、人間を殺害し遺体を損壊すれば、猫などよりも大きな性的興奮や快楽を得れると思い事件を引き起こします。
なお、Aの両親は事件前からAの言動に危機感を抱き、中学入学後の1995年11月に精神科の病院に通院させ、診断テストや脳の検査を受けさせていたそうです。その結果、Aは注意欠陥・多動性障害と診断されました。
また、Aは鑑定医に対し、被害者を殺害したことについて、「自分以外は人間ではなく野菜と同じだから切断や破砕をしてもいいし、誰も悲しまないと思う」と供述したそうです。
被害者遺族の悲しみについて問われると、「あの時あの場所を通りかかった被害者が悪いし、運が悪かったのだ」と答えました。
さらに「女性に対する関心は全くない」とも回答しているそうです。
精神鑑定の結果、Aは完全な責任能力を持っていますが、成人の反社会性パーソナリティ障害に相当する行為障害があります。
鑑定医の意見では、行為障害の原因を取り除き、Aの性格を改善し、更生させるためには、長期間の医療的処置が必要であり、医療少年院送致が最も適切な処遇と提案されました。
医療少年院でAの更生を図るプロジェクトが開始される
1997年10月13日、神戸家庭裁判所はAを医療少年院送致が相当と判断し、少年Aは関東医療少年院に入所することになります。
そして、関東医療少年院は、精神科医や法務省教官などの専門家で作るプロジェクトチームを編成することになります。
疑似家族を作り経過を観察
精神鑑定の結果、Aは家庭環境における親密な体験不足が指摘されました。
この問題に対し、関東医療少年院は前例のない治療体制を構築しました。具体的には、男性の主治医を父親役、女性の副主治医を母親役とし「疑似家族」を作り上げました。
この治療方法は一定の成果を示しましたが、Aが入所してから約1年経った頃、少年院の授業で行われた工作の実習で、Aは新聞広告のチラシを切り抜いてコラージュ作品を作りました。
しかし、Aは乳児の写真を細かく切り刻んでバラバラに貼り付け、作品には「精神と肉体の融合」という題名を付けて発表しました。
さらに、Aは理想の母親のような女性精神科医に対して強い憧れを抱いており、ある院生が「色っぽい白ブタ」と発言すると、Aは激怒し、手に持っていたボールペンを逆手に取り、その院生の目を突こうとしました。
少年院関係者は「この言葉によって少年の殺意が引き起こされ、これまでの矯正教育の成果が台無しになった」と述べています。
また、「遺族の手記を読んでも薬を飲んでも治らない」「性格が異常だから注意しなければならない」と発言し、「闘争と破壊こそが真の世界の姿だが、少年院ではいい子にしなければ出られない」とも述べています。
酒鬼薔薇聖斗というのがバレる
2001年11月、Aは東北少年院に移送されたのですが、Aは院生たちからいじめを受けるようになりました。
さらに、ある院生が偶然教官の書類を盗み見たところ、Aの偽名が明らかになり「お前、まさかあの酒鬼薔薇なのか」と尋ねると、少年はにやりと笑って頷いたという噂が広まり、Aの正体が一部の収容者に知られることとなりました。
その後いじめは激化し、2002年初夏に突然、Aは半裸の状態で意味不明の奇声を発し、ボールペンを振り回して周りを威嚇し始めました。教官たちが駆けつけ、他の院生を連れ出してAを取り囲み、説得を試みましたが、Aはカッターナイフで自分の性器を切りつけるという行為に出ました。
直ちにAは個室に軟禁され、事情聴取が行われましたが、興奮が冷めることなく危険であり、激しい動揺があったため、最終的には「奇行」と結論づけられました。
この騒動の後、神戸家裁は「少年の犯罪的傾向はまだ矯正されていない」と判断し、少年院収容を2004年末まで続けることを決定しました。
しかし、関東医療少年院は2003年3月にAの仮退院を申請し、2004年の3月頃に仮退院します。この判断に対して被害者からは「神戸家裁の判断からわずか半年で少年が変わったとでも言うのか」という批判や疑問の声が上がりました。
そして、2005年1月1日に保護観察期間を終えて正式退院し、社会復帰しました。
少年院を出たあとの行動
2004年秋、法務省はAの現在の生活について次のように語っています。
Aはある団地の一室で法務省関係者と同居し、共に炊事や買い物を行いながら社会勉強をしています。また、少年院で取得した溶接の資格を生かし、仮退院後の数日から朝8時に篤志家が経営する工場に出勤し、真面目に仕事をこなしています。夕方5時に退社すると、保護司宅で面談を受ける毎日を過ごしています。さらに、週に1回は精神科医のカウンセリングを受け、10日に1回程度は母親とも会っているようです。
また、関係者は「別の身元引受人と養子縁組して名前を変えたほか、出生地や学歴など、偽のプロフィールを用意し、同僚や付近の住民も彼の正体を分かっていません。事件当時の写真を見た人でもまず、今の彼は分からないでしょう」とも語っています。
少年Aの噂が飛び交う
Aの居住地や勤務先について、法務省は「彼の更生には世間の温かい理解と協力が重要であり、公表は支障をきたす」とノーコメントとしました。
しかし、マスコミや市民団体によって意図的に偽情報が流され、全国各地で「酒鬼薔薇が東京都内の保護司宅で新しい生活を始めた」といった情報が乱れ飛びました。
神戸市でも、地元住民は「少年が家族と共に戻ってくるのではないか」と疑心暗鬼になっていると報じられています。
少年Aが普通の生活を送っていることは間違いない
現在(2023年)少年Aも41歳になっており、一般社会にいることは間違いありません。
しかし、名前なども変更されており、多くの人は中学生の顔写真しか知らないので、今の少年Aは見分けがつかないと思います。
また、ネット上では「〇〇県に住んでいる」「近所に住んでいる」など、さまざまな情報が出回っていますが、真相は分かりません。
ただし、一般社会に復帰していることは紛れもなく事実です。
少年Aに関するエピソード
最後に、少年Aに関するさまざまエピソードをご紹介します。
事件の前からAには問題行為が多かった
Aが在籍していた友が丘中学校の当時の校長によると、Aには問題行動、正確にいえば、風変わりな行動が多かったと証言しています。
他の生徒の靴を隠して男子トイレで燃やし、卓球ラケットで何もしていない生徒の頭を叩く、カッターナイフで他の生徒の自転車のタイヤを切るといった行為があったそうで、Aが在籍していた小学校からは「刃物を突き刺した不気味な粘土細工を制作していた」という報告もあります。
担任の話によると、Aの表情は総じて動きに乏しく、注意しても教員の顔を直視することがなく、心が別のところにあり、意識がずれ、言葉が届かない感じを受けたと語っています。
なお、事件があった当時、教員の一部は「うちの学校で事件をやったとするならばAではないか?」という認識があり、担任も「ひょっとしたら」と思っていたそうです。
神戸の児童相談所に通い始めていた
第3の事件の犯行の9日前、Aは友が丘中学校に登校せず、代わりに母親と一緒に神戸の児童相談所に通い始めました。
理由は、5月13日に同級生を公園に呼び出し、自分の拳に時計を巻き付けて殴り、歯を折るなどの怪我を負わせたため、学校から父親が呼び出され「学校を休ませ児童相談所に通わせたほうがいい」と、斡旋されたからだそうです。
なお、同級生は「竜が台の通り魔事件の犯人に違いない」と噂していたため、暴行が起こったのだとAの仲間は語っています。
小学5年生のころから予兆はあった
少年Aは小学5年生のころから、ナメクジやカエルの解剖をしていたそうで、小学6年生になるころには猫を捕まえて解剖していたそうです。
中学生になると、猫殺しの欲動が人に対する攻撃衝動に発展していき、毎日のように「殺人妄想にさいなまれていた」と語っています。
なお、Aは友人に「合計で20匹ほどの猫を殺したと」話しています。
女性精神科医にはじめて性的興奮を覚えた
これは噂でしかないですが、女性の看護師や女性精神科医と繰り返し関わることで、はじめて人に対し一般的な性的欲求を覚えた情報があります。
特に、女性精神科医には特別な感情があったとされており、「女性精神科医を対象にして自慰行為をしたいので一人にしてください」と発言した情報もあります。
これまでは、暴力や殺害と遺体の損壊が性的興奮の対象でしたが、疑似家族を更生したことで、少年Aにも普通の感情が芽生えたのかもしれません。
冤罪説も浮上した
この事件には冤罪説も浮上しており、逮捕されたにも関わらず「冤罪ではないのか?」と指摘する声がありました。
しかし、Aの母親が面会のとき「お母さん、あんたの口からハッキリと聞いておきたいことがある。○○君を殺したの? ○○君を殺したんは、本当にお前なんか? あの事件は冤罪ということはあり得へんの?」と、冤罪の可能性について尋ねた際、彼は「あり得へん。間違いなくそうです。自分がやりました」と語っています。
文春記者が少年Aに直撃

元少年Aを追いかけた「週刊文春」の記者は、250日に渡り元少年Aを追跡し、そして本人に直撃取材しました。
文春の記者は、元少年Aに取材を申し込みましたが、最初は「人違いです」と拒否されたそうです。
後日改めてまた取材に行き、インタビューを依頼する趣旨を記した手紙と名刺を渡すと、それまで大人しかった元少年Aは豹変。
いらねえ、いらねえよ。
いい加減にしとけよ、コラ。
違うって言ってんだろうが。
何なんだよお前!
このように、脅迫するような言葉を吐き、右手で記者の腕をつかみ、左手は何かを持っていることをアピールするためか、終始コートの中でゴソゴソしていたそうです。
さらには
お前の顔と名前覚えたぞ。
わかってんのか、おい!
車はどこだ!車はどこつってんだ、オラ!
と威嚇し、震えながら「アァァアアアア!!!」と叫びだしたそうです。
さすがに危険を感じた記者がその場を離れようとすると、約1キロほど追いかけてきたそうで、記者は殺されるかもしれないと思ったと言います。
記者はこの様子から「本当に更生できているのか疑問に感じた」と語っています。
絶歌を出版
2015年6月10日に、当時32歳となった少年Aが「絶歌 神戸連続児童殺傷事件」を太田出版から刊行しました。
内容は事件にいたる経緯、犯行後の社会復帰にいたる過程を綴った手記になっています。
絶歌の販売には批判も集まり、出版の是非や内容を巡って賛否が割れるなど、さまざまな反響を呼びました。
被害者の父親は、版元である太田出版に対して抗議しており、速やかな回収を求め、被害者遺族の心情に配慮し全店舗からこの書籍を撤去した書店もあります。