【閲覧注意】女子高生コンクリート詰め殺人事件を分かりやすく解説

【閲覧注意】女子高生コンクリート詰め殺人事件を分かりやすく解説
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女子高生コンクリート詰め殺人事件は、1988年11月から1989年1月の間に発生した凶悪な犯罪事件です。


被害者は当時17歳の女子高生(古田順子さん)で、1988年11月25日夕方に埼玉県三郷市戸ケ崎で自転車を走らせている最中に不良少年グループに拉致され、約40日間もの間、加害者たちの拠点だった東京都足立区綾瀬の家に監禁され、暴行や強姦の被害に遭い続けました。


そして、1989年1月4日、被害者の女子高生は加害者グループからの集団リンチを受けて死亡し、彼女の遺体はコンクリートで詰められ、東京都江東区の東京湾埋立地に遺棄されました。


事件の全容は、別の強姦事件で逮捕された加害者少年たちが自供したことで明らかになりました。


この事件は非常に残忍で凶悪な少年犯罪であり、日本社会に大きな衝撃を与え、被害者少女が加害者の家に長期間監禁されていたにもかかわらず、加害者の両親を含めて誰も彼女の命を救うことができなかったことについて、非難や疑問の声が高まりました。

加害者の情報

この事件は未成年による犯罪にもかかわらず「野獣に人権はない」ということから、週刊文春によって実名が報道されました。

少年A:宮野 裕史(犯行当時18歳)

第一審・東京地裁(1990年7月19日判決)にて懲役17年(求刑・無期懲役)、控訴審・東京高裁(1991年7月12日判決)にて懲役20年の判決が確定。

少年B:小倉 譲(犯行当時17歳)

第一審・東京地裁と控訴審・東京高裁にてそれぞれ「懲役5年以上10年以下の不定期刑」(求刑・懲役13年)の判決が確定。

少年C:湊 伸治(犯行当時15歳〜16歳

第一審・東京地裁で「懲役4年以上6年以下の不定期刑」(求刑・懲役5年以上10年以下の不定期刑)、控訴審・東京高裁で「懲役5年以上9年以下の不定期刑」の判決が確定。

少年D:渡邊 恭史(犯行当時16〜17歳)

第一審・東京地裁で「懲役3年以上4年以下の不定期刑」(求刑・懲役5年以上10年以下の不定期刑)、控訴審・東京高裁で「懲役5年以上7年以下の不定期刑」の判決を受けた。Dは、4人の中で唯一上告し、その後「懲役3年以上4年以下の不定期刑」が確定。


以上のA・B・C・Dが刑事裁判で犯行への関与が認定され有罪判決を受けた主犯格です。

なお、この事件は加害者をA・B・C・Dで解説していることが多いので、この記事でも同様にA・B・C・Dで解説します。混乱しないためにも以下を把握してください。

被害者:古田 順子さん(ふるた じゅんこ)
加害者A:宮野 裕史(みやの ひろし)
加害者B:小倉 譲(おぐら じょう)
加害者C:湊 伸治(みなと しんじ)
加害者D:渡邊 恭史(わたなべ やすし)


監禁までの流れを分かりやすく解説

事件の経緯は、少年たちが若い女性を狙って強姦かひったくりをすることが当初の目的でした。


そこに、被害者である古田順子さんがたまたまアルバイトの帰りに通りかかり、少年たちに拉致され監禁されます。


監禁までの流れを簡単に解説すると以下の流れになります。

少年AとCでアルバイトから帰宅途中の古田順子さんに接触

Aが古田順子さんをホテルに連れ込み強姦

たまり場となっているCの家に連絡し、Aは「狙っていた女を捕まえてセックスした」と伝える。
しかし、BがAに対し「女を帰さないでください」と発言したので、AはBと合流する。

Cは、Cの家に一緒にいたDを連れて約束の待合わせ場所へ行き、古田順子さんを連れたA・B両名と合流。

少年4人は古田順子さんをどうするか悩んだ結果、Bが「さらっちゃいましょうよ」と発言したことから、監禁することになる。

なお、「お前はヤクザに狙われている。仲間がお前の家の前をうろうろしているからかくまってやる」などと嘘を言って脅迫し、同日から少女を殺害するまで監禁しました。

【閲覧注意】監禁されてから殺害するまでの詳細

監禁場所となったCの家

古田順子さんをCの自室に連れ込むと、4人の少年(A・B・C・D)に加えて、不良仲間のE・Fも合流します。


そして、Aは仲間たちに輪姦するように指示し、A以外が古田順子に襲いかかり、必死に抵抗する少女の口や手足を押さえ付けて馬乗りになるなどの暴行を加え、着衣をはぎ取り、順番に強姦します。


なお、こときAは剃刀を持ち出して少女の陰毛を剃り、陰部にマッチを挿入して火をつけるなどの凌辱を行い、少年たちは火で熱がる少女の様子を見て、笑って面白がっていたそうです。

逃げ出そうとするも怯えて抵抗をやめる

古田順子さんは、逃げ出そうとしたり、隙を見て自宅に電話しようとしたが、激しい暴行に加え、少年らがヤクザ言葉を使っているのに怯えて抵抗を諦めたそうです。


しかし、奇跡的に一度だけ逃げることができたのですが、運悪くA・B・Cの3人に見つかってしまいます。


そして、自分達から逃げようとした行為に腹を立て、A・B・Cの3人が古田順子さんの顔面を拳で多数回にわたって殴りつけ、Aは足首にライターの火を押し付け火傷を負わせるなどをしました。

その後も残酷な行為がつづく

供述で判明している少年たちが行った残酷な行為は以下になります。

  • 全裸にしてディスコの曲に合わせて踊らせながら自慰行為を強要
  • ゴキブリを食べさせる
  • 性器や肛門に鉄棒やビンを挿入
  • 性器や肛門に入れたビンに釘を打ち、性器内や肛門内で割る
  • 両方の鼓膜が破れるぐらい暴行(ほとんど音が聞こえなかったそう)
  • 小指の生爪を剥がす
  • 古田順子さんにシンナーを吸引させる
  • 寒気の厳しい夜中に半裸でベランダに出して牛乳や水などを多量に飲ませる
  • 顔に蝋を垂らし火のついた蝋燭を立てる
  • 飲料パックにした尿をストローで飲ませる
  • 1.74Kgのキックボクシングの練習器具で、ゴルフスイングの要領で数回殴打
  • ダンベルを1メートル以上の高さから腹部に向けて落とす
  • 太もも、手などに揮発性のを注ぎライターで点火

このような行為が繰り返し行われ、鼻口部(びこうぶ)から出血し、火傷の傷からは血膿が出ており、室内に飛び散るほど悲惨な状況だったそうです。


また、判明した情報によれば、古田順子さんは「もう殺して」と懇願していたそうです。


そして、少年たちが40日間休みなく暴行などを繰り返し行ったことで、1月4日午後10時ごろ重篤な傷害により死亡しました。

遺体をコンクリートに入れ遺棄した経緯

少年たちは自身の犯罪が明るみに出ることを恐れ、1月5日の午後6時ごろG(Cの兄)と共謀し、古田順子さんの遺体をどこかに遺棄する計画を立てました。


まず、遺体を毛布で包み、大型の旅行かばんに入れ、ガムテープで固定しました。次に、Aはトラックを借り出し、セメントを入手しました。


また、近くの建材店から砂やブロックを盗み出し、トラックで遺体とドラム缶をCの家の前まで運び、そこでコンクリートを作りました。


遺体を入れたかばんをドラム缶に入れ、コンクリートを注ぎ込み、ブロックや煉瓦で固定し、ドラム缶を黒いビニール袋で覆い、ガムテープで密閉しました。


そして、1月5日の午後8時ごろ、A・B・Cの3人はトラックでドラム缶を運び、東京都江東区若洲の埋め立て地に遺棄しました。

コンクリート詰めされ遺棄された場所

現場は有刺鉄線で囲まれた工事現場であり、雑草が生い茂っており、不法投棄が頻繁に行われていた場所だったので、遺体遺棄するのに最適と思ったそうです。

なぜCの家族は放置していたのか?

この事件はCの自宅で行われていたにもかかわらず、「Cの両親はなぜ助けなかったのか?」という疑問があり、当時も話題になりました。


まず、話を整理するとCには「兄・父親・母親」がおり、それぞ古田順子さんが家にいたことは把握しています。


そして、1988年の12月初めごろ、Cの父親は部屋で奇声を聞き、2階に上がりましたが中に入ることはできず、父親は女性の声が聞こえたため「少女が遊びに来ていると思った」と述べています。


また、12月末のある日、両親は少女が2階にいることを知り、彼女を説得して1階のリビングに連れてきました。


彼らは夕食を共にし、古田順子さんに「家に帰りなさい」と注意したそうですが、他の少年も一緒に夕食に参加していたため、古田順子さんはほとんど喋らなかったそうです。


その後、両親は古田順子さんが1人だけ一階に残った隙に声をかけ、玄関から送り出したのですが、Cが逃走を知り追いかけて連れ戻されます。


なお、この注意が両親から言われた唯一の注意だったそうです。

両親は見て見ぬふりをしていた

普通に考えれば家族で住んでいる家に40日間も監禁するのは不可能ですが、父親は仕事で忙しく、家庭を顧みることがなかったそうです。


また、母親はCから暴力を振るわれていたため、何ごとも見て見ぬふりをし、監禁中も、古田順子さんを逃がそうとしたことから、Cから1時間も暴力を振るわれたため、完全に怯えていたそうです。

Cの兄は共犯

Cの兄も古田順子さんに食事を運んだりしていたので、一部始終は知っているはずですし、一緒に遺体を隠そうとしているので監禁されていることは把握しています。


また、Cの兄はBと同級生であることや、最終的に殺人、死体遺棄容疑で東京家裁に書類送致されますので、共犯であることは間違いありません。


しかし、A・B・C・Dと比べて犯行への関与が軽く、在宅のまま任意で取り調べられていたそうです。

コンクリート詰めされた遺体の状態

古田順子さんの遺体は両親が見ても分からないぐらい悲惨な状態で、遺体は変色しており、全身が真っ黒な状態で見つかりました。


死体に見慣れているはずの警察ですら「あまりのむごさに顔をそむける捜査員もいた」と、発言しています。


また、40日間の厳しいストレスで、脳は通常の2分の1のサイズにまで委縮しており、身体に傷のない箇所がないほどボロボロな状態だったそうです。


他にも以下のことが分かっています。

  • 左乳首はペンチのようなもので潰されていた
  • あまりの地獄に、脳が自ら活動を停止する「自死」という状態だった
  • 遺体の乳房には数本の裁縫針が入っていた
  • 監禁中の様子を撮影したビデオテープがドラム缶から発見される
  • 歯茎にまともに付いている歯は一本もなかった
  • あまりのストレスに頭髪が抜け落ちていた
  • 遺体の性器には、オロナミンCの瓶が2本突き刺さっていた
  • 性器と肛門、顔面は完全に破壊され原型をとどめていなかった

40日も監禁された挙げ句の果てに、悲惨な状態で放置されており、さらには妊娠していた痕跡も見つかったようです。

少年たちが逮捕されるまでの経緯

警視庁綾瀬警察署と少年二課は、別の婦女暴行事件やひったくり事件に関与したとして、少年AとBをすでに逮捕しており、余罪について取り調べたところ、AとBは少女の遺体をドラム缶に入れて江東区若洲の埋め立て地に遺棄したことを自供しました。


警察はその場所を捜索し、2人の供述通りにドラム缶を見つけ、中から少女の遺体を発見し、翌日の3月30日、警察は少年AとBを殺人と死体遺棄の容疑で逮捕しました。


遺体は腐敗が進んでおり、少女の家族も確認が難しかったため、所持品の指紋と照合するなどの手法で身元を確認し、被害者は少女であることを断定しました。


そして、綾瀬警察署と少年二課は同日、犯行現場となった足立区綾瀬のC宅を調査し、この家に住む兄弟である少年C・Gに加え、DやE・Fも少女の殺害に関与しているとし、逮捕することになります。

逮捕後はこちらをチェック

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