【伝説のヤクザ】悪魔のキューピーこと大西政寛の生涯【仁義なき戦い】

梅宮辰夫(若杉博)と悪魔のキューピーこと大西政寛
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悪魔のキューピーこと大西政寛とは、映画「仁義なき戦い」シリーズ第1作で、梅宮辰夫さんが演じた若杉寛のモデルになった人物です。


「悪魔のキューピー」と言われるのは、小柄で甘い顔立ちをしながら、凶暴で残酷な性格で、キユーピー人形のように可愛らしい顔をしているのに、悪魔のように恐ろしいことから、このようなあだ名がついたそうです。


最終的に27歳のとき警察官に射殺され、短い人生で幕を閉じます。


この記事では、そんな悪魔のキューピーこと伝説のヤクザ、大西政寛の生涯に触れていきます。

先生を文鎮で殴打

大西は学校へあまり通っていなかったため、読み書きが異常なほどできませんでした。


喋らせれば話の杉道はとおり、頭脳の明晰さはぴかいちだったものの、勉強は平均以下。しかし、絵画の才能があり学校では絵ばかり描いていたそうです。


そこに、ある教師が「大西、おまえはペンキ屋にでもなるんじゃろうか」と話かけると、静かに「うん」とだけ返します。


すると教師が「ほいじゃが、ペンキ屋は字も書かにゃならんけん、お前にはおえんじゃろう。脳病院の絵の先生にでもなるんか」と馬鹿にした発言をしたことで、大西は「なんなら」と激怒し、顔を上げて教師を睨みつけた瞬間、椅子から立ち上がり足払いし床に倒していました。


そして、「このどべくそ(最低)野郎が!おちょくるなや!」と叫びながら馬乗りになり文鎮で殴りつづけました。教師は顔を縫うなどの大怪我を負い、学校中で大騒ぎになり、大西は即日退校を命じられます。


なお、この事件を起こした大西はまだ13歳の少年です。


ちなみに、当時は軍国教育が徹底された時代なので、生徒が教師を殴る行為は絶対に許されないことです。

カシメ若衆の道へ進みヤクザとなる

即日退校を命じられたことで、大西の母は今後に悩んでいました。


なにしろ、悪ガンボー(不良)なうえ、教師への暴力事件が噂で広まり、さらには読み書きができないので、働き先がなかったそうです。


そこに母の知人が「カシメ職人がええんじゃないか?」と言い、「向井組の親分をよう知っとるけん、頼んでみちゃるわい。折をみて政寛と一緒に挨拶に行きんさい。カシメなら向井組が一番じゃわい。そこの人は面倒見もええけ。」と、斡旋されたことから、向井組のカシメ若衆になります。


向井組は呉一帯の極道を仕切るほど大きな組で、配下の若衆が300人はいたそうです。


なお、カシメとは、戦前の呉の花形職業で、鉄骨と鉄骨の接合部分を熱したボルトで締め付ける職人のことです。呉は軍港だったので軍艦の製造が24時間行われており、カシメがいないと成り立たない仕事です。

カシメの仕事は順調だったが気性の荒さは相変わらず

カシメ若衆として仕事をするようになった大西は一年もしないうちに、立派な職人になっていました。


しかし、気性の荒さは相変わらずで、15歳のころ仕事の休憩中に水分を補給しようと水飲み場に行き、休んでいたところ、あとから来た鳶職人が大西のことを「おい小僧、はよせい」と、頭をポンと小突いたそうです。


すると大西は「なにすんない」とポケットに持っていた刃渡り10センチの小刀を握りしめ、襲いかかろうとしました。


また、自分のドカベン(土方弁当のことで大きな弁当)が取られそうになったときは、鋲焼き箸を持って殴りかかったり、兄貴分の上司が仕事の段取りをめぐってトラブルになったとき、横柄な口調だった相手に対し「利いた口をぬかすな」と言い、エアハンマーを振り回すなど、カッとなったら手に負えなかったそうです。


一般の考えで言えばトラブルメーカーですが、ヤクザ社会なので「15歳の優男に見えて気力がある」と、一目を置かれる存在になっていきます。

兵隊にも容赦なく襲いかかる

16歳になるころ仕事帰りに食堂でビールを飲んでいると、近くにいた海軍の水兵が椅子を蹴って立ち上がり、大西へ「貴様、銃後の守りが叫ばれているとき、子供のくせに酒を飲んでいるとは何事か」と詰め寄ってきます。


大西はすぐさま「なんじゃい」と睨み返しますが、相手は海軍軍人だったので、逃げるかのように外に出ました。


しかし、大西は逃げたのではなく、三件ほど先の小料理屋の板場に侵入し、刺身包丁二本を持って食堂に戻り、無言で海軍軍人の脇腹へずぶりと刺したのです。


さらに、海軍軍人が椅子から転げ落ちると、襟元をつかんで引き起こし、片方の耳を斬り落としました。そして、この事件で大西の名声は高まり、着物の似合う彼が呉の街中を闊歩してもだれも歯向かわなくなります。


なお、この事件は「大西は我が物顔で呉の街を歩く海軍軍人が嫌いだった」ということから、あそこまで追い打ちをかけたと言われています。


他にも、向井組が他の組と揉め事を起こしたあと、互いの組の代表者が和解のために会談を行っていると、突然大西が乱入し腹巻から拳銃を取り出して相手の代表者に睨みをきかせるなどの武勇伝があります。


これらの行動がきっかけで大西の名は広く知られることになり、向井組には複数のヤクザ組織から大西を欲しがる声がよせられるようになります。


最終的に、向井組の組長から「仕事を選ぶか、男を選ぶんか、どっちにしよるんない」と聞かれた大西は「土岡の盃を貰いますけん」と言い、土岡組の組員になります。


おそらく「仕事を選ぶ」というのは、向井組でカシメ職人の道に進むことで、「男になる」というのは、本腰でヤクザになることを意味するのだと思います。

中国戦線では捕虜の首を何人も斬った

1943年二十歳になった大西は徴兵され、広島第五師団に入隊し、中国へ出兵することになります。


戦地へ出向いた大西は、持ち前の腕っぷしの強さを発揮し、次々と敵兵を切り捨て大活躍だったそうです。


また、仲間思いだった大西は「仲間たちに汚れ役はさせれない」ということから、捕虜の首を斬る処刑役を名乗り出ていました。


しかし、戦地での出来事が影響し、戦争が終わり呉に戻るころには凶暴性が増していたそうで、トラブルになると躊躇なく拳銃を突きつけ、引き金を引こうとするなど、手がつけられない狂犬になります。


なお、呉に戻った大西が戦地での首切りについて「首を斬らされるもんは、斬られるもんより根性がいるけんのう」と、ニヤッと笑いながら漏らしたそうです。

日本刀で敵対している相手の腕を切断し、悪魔のキューピーと呼ばれるようになる

戦地から呉に戻った大西は土岡組に復員します。


この頃、土岡組は裏社会の覇権をめぐって、さまざまな組とトラブルになっていました。


そして、地元の盆踊りの会場で、対立していた組の関係者、小原馨(こはら かおる)を見つけ「最近ごちゃごちゃうるさいんじゃ。お前なら腕1本でええわい」と言い放ち、いきなり日本刀で肩から腕を切り落としました。


叫び声を聞いた小原の仲間が駆けつけると、大西は「おう、ええとこに来たのう。小原一人じゃなんじゃけ、お前も往生せい」と、仲間の腕も切り落としました。


なお、この衝撃的な事件がきっかけで、可愛らしい外見からは想像もつかない凶暴な男と言う意味が込められた「悪魔のキューピー」と言う異名がつけられました。

拘置所で美能幸三と出会い、腹を切り帰還

腕を斬る事件を起こした当時は、刑法上初犯だったのですぐ保釈されます。しかし、別の殺人事件に関わり共謀していたことから再び拘置所に送られます。


このとき、旅のヤクザを射殺した罪で服役していた美能幸三に出会い、2人は意気投合し兄弟分の盃を交わします。


そして、仁義なき戦いで有名なシーン「自ら腹を切って外に出る」という行動を起こします。


大西は日頃から「わしは出たいんじゃがのう」と美能に伝えていたそうで「兄貴、今度の刑が軽けりゃ保釈はきくけん、もうちいと辛抱してつかあさい」と慰めの言葉をかけていました。


しかし、拘置所の病人や怪我人は治療のために釈放されるという仕組みに目をつけ、美能に「先に出とるけん。待っとるわい」と言い残し、カミソリで腹を20センチほど深く切り裂き、飛び出た腸を両手で受け抱えながら病院に運ばれ、再び外に出ることになります。


なお、緊急入院した大西は輸血が必要だったのですが、このとき血を与えたのは、腕を斬られた小原馨の奥さんだったそうです。

土岡組との決別

腕の切断と、悪魔のキューピーという名が広まり、大西に恐怖を覚えたため、土岡組に手を出すヤクザ組織は少なかったようですが、次第に「大西を味方につけたい」という動きが見られるようになります。


そのなかでも、人心掌握に長けていた山村組の組長、山村辰雄(やまむら たつお)が大西を懐柔し「事務所に招待して手厚くもてなす」「大西の妻にプレゼントを送ったり、買い物などに連れて行く」「警察から逃げるための隠れ家を用意する」など、何かと大西の世話をし信用を獲得していました。


次第に山村辰夫に恩義を感じるようになったことや、山村組には美能幸三もいたため、最終的に土岡組を裏切り、山村組の元へ出入りするようになります。

次第に山村組の中心人物になる

山村組の事務所に住むようになり、次第に大西は組の中心人物になっていました。そして、かつて親分だった土岡組の組長を殺害することになります。


これこそが山村の狙いで、山村組にとって邪魔だった土岡組を潰すために大西を抱き込んでいたのです。


そして、大西は殺害計画を数名の組員に説明し、決行日に再度集まる予定でしたが、集まったのは大西と美能のみだったそうです。


この状況に激怒した山村は怒りながらも「まあちゃん(大西)これからどうすりゃええ」と発言し、大西は3人で殺ると答えました。


美能はそれを聞いて「兄貴に殺らせるわけにはいかん」と発言したところ、美能の言葉に山村が飛びつき「お前が殺ってくれるか!お前は前の刑があるけん死刑になる。じゃが、もし帰ってこれたらわしの財産をみなやる」と狙ったかのように発言。


さらに、計ったかのように山村夫人が現れ涙ながら美能の手を握り、その光景を見た大西は「幸三、お前はええ親分や姐さんを持って幸せじゃ、わしゃ羨ましいわい」と言ったそうです。


そして、美能は自分を犠牲に土岡組組長の暗殺に向かいます。

しかし、襲撃は失敗

暗殺に向かった美能の襲撃は失敗し、山村は美能を責め立てるようになります。これを間近で見ていた大西は、次第に山村への不信感を抱くようになります。


また、美能も同じように、山村への不信感や土岡組や関係する組からターゲットにされるなど、窮地に追い込まれてしまい、一番安全な場所である刑務所に逃げ込むかのように、自首することになります。そして、20年という気の遠くなるような刑を課せられ服役することになります。


その後、土岡組を裏切ったことや、美能を窮地に追い込んでしまったこと、そして美能に対する山村の態度から大西は「わしは騙されていたのか」と思うようになり、虚無感と苛立ちが募る日々を送っていました。

気晴らしに出かけた競馬で事件を起こす

美能の服役や土岡組への裏切り、山村への不信感などから、虚無感と苛立ちがつづく日々を送っている最中、気晴らしに出かけた広島県福山市の競馬で、八百長のもつれから騎手をメッタ打ちにし指名手配されます。

妻を冷やかされ、名前を騙った相手の頭を拳銃で発泡

指名手配されたことで、呉に戻った大西は妻と母親の三人でしばしばの団欒を楽しんだそうです。


そして、大西最期の出来事となる事件が発生します。


大西と妻が並んで歩いているとき、酔っ払った男たちが「このおなごは進駐軍のパンパン(売春婦)じゃろうが」と冷やかされ、たちまち怒りが込み上げた大西は「なにぃ?わりゃあ、誰にもの言いよんな!?」と威嚇したそうです。


すると「わしゃ山村組の大西じゃ、名前聞いて風引くなよ」と、偶然にも本人の前で悪魔のキューピーの名を騙ってしまいます。


しかし、妻から「こらえて、うちと逃げて」と引きずられたので、その場は事なきを得ることになります。


そして、大西の名前や山村組を騙ったことから、山村組の若い衆が酔っ払った男を探し出します。


数時間のうちに大西や山村組の名を騙った男性は山村組の若い衆に捕まり、大西の前に連れてこられ「さっきのことはこらえてつかあさい。悪いことした思うちょるけんね。」と、愛想笑いとともに言い、頭を下げる不利をして逃げようとしました。


すると、大西は腹巻きから拳銃を取り出し男の頭をめがけて発泡。後頭部は砕け散り男性は死亡。呉署はすぐに大西政寛が犯人と断定し、指名手配されます。

悪魔のキューピー最期のとき

事件から数週間後、呉署に「大西が呉市内に潜んでいるが高跳びするようだ」との情報が入り、急襲して逮捕することになります。


40人の警察が潜伏先を包囲し、数名の警官が家の中を捜索している最中、こたつをめくると、隠れていた大西が警官に向かって拳銃で発泡します。


隙を見て窓ガラスに突進し逃亡しようとしましたが、すかさず警察も発泡し、大西に命中します。


そして、窓から飛び降りたところを数名の警察に取り押さえられますが、このときすでに死亡。


27歳の若さでこの世を去り暴力と狂気にまみれた大西政寛の生き様は伝説のヤクザとして語りつがれていきます。

警察に情報を流したのは山村辰夫?

警察に大西の居場所を教えたのは山村辰夫という説が濃厚で、映画のなかでも美能役を演じる菅原文太が「兄貴の居場所をサツにチンコロしたんはおどれらか」と迫るシーンもあります。


また、「山村辰夫が警察に教えた」ということを発言した人物は山村組のメンバーであり、大西の妻にそのことを直接伝えているそうです。


話を聞いた妻は血相をかえて山村に迫り、「山村さん、あんたの命は貰いますけん」と言い放ったとも言われています。


そして、大西の死後広島はさらなるヤクザ抗争へと発展していきます。

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