【事件から15年】恐怖の現場、秋葉原通り魔事件の真相を振り返る

秋葉原通り魔事件
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秋葉原通り魔事件は、2008年6月8日12時30分過ぎに東京都千代田区の秋葉原で発生した大規模な殺傷事件で、この事件は一般に「秋葉原通り魔事件」として知られ、当時は大きな社会的な衝撃を引き起こしました。


犯人は、犯行前に「2ちゃんねる」というインターネット掲示板に犯行予告を投稿しており、この事件をきっかけに、ネット犯罪の取り締まりや、精神疾患を抱える人々の支援など、社会的な問題にも関心が高まりました。


事件を起こした加藤智大(かとうともひろ)は2トントラックで赤信号を無視して交差点に突入し、通行人5人を次々とはねた上、降車して通行人や警察官ら17人を次々とダガーナイフで刺した。一連の犯行によって7人が死亡、10人が重軽傷。


警視庁や裁判所、報道、更に犯人自身からは主に、秋葉原無差別殺傷事件と呼ばれている。

秋葉原通り魔事件の概要

画像:加藤 智大

2008年6月8日12時30分過ぎ、東京都千代田区外神田四丁目の神田明神通りと中央通りが交わる交差点で、元自動車工場派遣社員の加藤 智大(かとう ともひろ、1982年9月28日 – 2022年7月26日、事件当時25歳)の運転する2トントラックが西側の神田明神下交差点方面から東に向かい、中央通りとの交差点に設置されていた赤信号を無視して突入、青信号を横断中の歩行者5人をはねた。


このトラックは、交差点を過ぎて対向車線で信号待ちをしていたタクシーと接触して停車。周囲にいた人々は最初は交通事故だと思ったが、トラックを運転していた加藤はそのまま車を降り、道路に倒れこむ被害者の救護に集まった通行人、警察官ら17人を所持していたダガーナイフで立て続けに殺傷した。


さらに加藤は奇声を上げながら周囲の通行人を次々に刺して逃走。事件発生後まもなくして近くの警視庁万世橋警察署秋葉原交番から駆けつけた警察官が加藤を追跡し距離を詰めたところ、防護服を斬り付けられるなど命の危険に晒されたものの、警棒で加藤の側頭部を殴りつけるなどして応戦。

最後は拳銃の銃口を加藤に対して向けて、武器を捨てるよう警告し、応じなければ拳銃を発砲すると通告し、それに応じてダガーを捨てた加藤を非番であったがその場に居合わせた蔵前警察署の警察官とともに取り押さえて、旧サトームセン本店(事件当時は空き店舗。現クラブセガ秋葉原新館)脇の路地で現行犯逮捕した。

駆けつけた警察官により取り押さえられ逮捕される瞬間

事件当日は日曜日で、中央通りは歩行者天国の区域となっており、買い物客や観光客でごった返している中での犯行だったため、事件直後に多くの人々が逃げ惑い、また負傷者が横たわる周囲が血の海になるなど事件現場はさながら戦場の様相を呈しており、まさに白昼の惨劇であった。後に加藤はナイフを5本所持していたことがわかった。


警視庁捜査一課・万世橋署は6月10日、加藤を東京地方検察庁に送検、同地検は7月7日、加藤の精神鑑定のため、東京地方裁判所に鑑定留置を請求し認められた。留置期限の10月6日までに、「刑事責任能力がある」という結論が出されている。

掲示板で反抗を予告

加藤は携帯電話向けの電子掲示板を複数利用していた。2008年2月に「不細工なせいで孤独な男」という人物を演じたところ他利用者からの反応が良かったので、以後「不細工スレの主」として自虐的な書き込みを続けて行く。一方で加藤に成りすました荒らしも掲示板に現れるようになる。


やがて実生活で仕事や友人を失ったことから社会との接点が掲示板のみになり、孤立を恐れて掲示板にしがみつくようになった加藤は、荒らしへの「心理的に攻撃する手段」として、報道されて相手に伝わるような大事件を起こすことを決意する。


加藤は事件当日の5時21分に「究極交流掲示板(改)」に新しいスレッドを立て、沼津から秋葉原まで移動して事件を起こすまでに約30回のメッセージを書き込んでいた。11時45分頃、秋葉原に到着した加藤はスレッドのタイトルを「秋葉原で人を殺します」へ、内容を「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら」と書き換えて犯行予告を行い、12時10分に「時間です」の書き込みを残して12時30分に事件を起こした。

加藤が書き込んた当時の投稿画面


加藤 智大の目的とは?

事件直後の報道では派遣社員だった加藤死刑囚が派遣切りされてその社会への復讐が犯行動機であるというものだった。


しかし、裁判に入ると「その犯行動機は違うんです。」と加藤は訴えた。


当時は派遣切りによる社会への復讐だと報じられていたのが、加藤によると、殺人を目的として事件を起こしたのではなく、ネットの掲示板荒らしに対する抗議の表明手段だったという。事件直前には中止を考えたものの既に掲示板で犯行予告を行っていたため、懲役刑よりは死刑になった方がましだと考えて決行したという。

秋葉原通り魔事件の前にも予兆が?

加藤は秋葉原通り魔事件の前にも、以前勤めていた仙台の警備会社では事務所に火をつけるかトラックで突っ込むかして襲撃する計画、地元の青森で車で対向車線側のトラックに突っ込んで自殺するという計画を立てたりしていたと語っている。


2006年8月末と2007年には自殺計画を練り、友人や家族に自殺予告のメールをした後で実行に着手しようとしたが、最終的には実行しなかった。


また、加藤はトラックで人をはね飛ばすのは2005年(平成17年)4月に発生した仙台アーケード街トラック暴走事件を参考に、ナイフで人を襲うのは2008年(平成20年)3月に発生した土浦連続殺傷事件を参考にし、犯行2日前に福井県福井市のミリタリー輸入雑貨店でナイフ類6本を購入。犯行前日に静岡県沼津市のレンタカー店で2トントラックを予約して犯行に及んだ。


加藤は事件現場で現行犯逮捕されて以降、拘置所において弁護士以外との面会を拒否し、手紙の受け取りや、マスコミの取材も拒否している。

事件後の余波

事件当時の写真

加藤が起こした事件のあと、福田康夫内閣総理大臣(当時)は、泉信也国家公安委員会委員長に対し、事件の再発防止策の検討を指示した。

犯行予告の模倣犯急増

秋葉原の事件後1カ月間で、インターネットに大量殺傷事件などの「犯行予告」を書き込んだとして警察に摘発された人は全国で33人に上った。年代は小中学生から40歳代までの男女で、容疑は威力業務妨害や軽犯罪法違反などだった。


主な書き込みは「秋葉原事件みたいなの起こしてやるよ もうナイフも銃も用意した」「九州のある駅で歴史に残る大量殺人をする。加藤よりも多い人数を殺す」などで、秋葉原の事件に直接言及したものもあった。


模倣犯の増加については、1審の論告でも検察側が言及した。「事件後はインターネットの掲示板に殺人予告をする者が後を絶たず、現実に多数の模倣犯罪が発生した」としたうえで、「社会全体に対し、新たな犯罪を生み出すなどの計り知れない悪影響を及ぼした」と加藤死刑囚を非難した。

歩行者天国の中止

事件を受け東京都公安委員会は2008年6月13日、日曜・祝日に実施してきた歩行者天国を同月15日から当面中止することを決めた。地元の千代田区などから「模倣犯が出たら怖い」などと不安の声が上がっていたことを踏まえた対応だった。


また、事件後は模倣犯防止のために秋葉原周辺では、警視庁・万世橋警察署の制服警察官や私服警察官、刑事・警視庁公安部の職員が多数配置されており、パトカーによる巡回、不審者に対しては職務質問を随時実施している。


「アキバ(秋葉原)のホコ天」は1973年にはじまり、秋葉原は家電の街、アニメなどサブカルチャーの拠点などとして多くの人を集めてきたが、歩行者天国の中止は初めてのことだった。


中止期間中、地元は防犯カメラの設置や防犯パトロールの強化などに取り組み、11年1月、歩行者天国は2年7カ月ぶりに再開された。

銃刀法の改正

この事件の影響を受け、町村信孝内閣官房長官は刃物の所持規制強化を検討すると述べた。その後、2009年(平成21年)1月5日に銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)が改正された。内容は「刃渡り5.5cmの剣が原則所持禁止」が主となっている。これによりカキの殻むきナイフの一部なども違法にあたると発表され、各業界で混乱を招いている。


また、国の銃刀法改正に先立ち、18歳未満に対するダガーナイフの販売を条例で禁止する自治体も相次ぎ、日常生活では使われず、刃渡りが一定以上の長さのナイフを県条例などで「有害玩具類」に指定し、違反者に罰金を科す条例まで発表された。

日常生活にも影響か?

秋葉原通り魔事件の影響は、日常生活にも影響を与え、Yahoo!ショッピングやAmazon、楽天市場ではダガーナイフの販売が全面中止になり、インターネットオークションへの出品も全面禁止となった。


TBSは6月9日に月曜ゴールデンで放送予定であったテレビドラマ『森村誠一サスペンスシリーズ(7) 〜時〜』にひき逃げや人が刺されるシーンがあり、事件を連想させるとして放送を自粛すると発表し、急遽きゅうきょ、映画『NANA』を代替放送した。


また、東映制作の特撮テレビドラマ『炎神戦隊ゴーオンジャー』では番組中に登場するゴーオンウィングス専用武器「ロケットダガー」が本事件に用いられた凶器を連想させるとし、メインスポンサーであるバンダイは武器の玩具の発売直前に商品名を「スイッチ噴射剣ロケットダガー」から「スイッチ噴射剣ロケットブースター」に変更。

加藤が被害者遺族に宛てた手紙

このたびは本当に申し訳ございませんでした。被害を与えたことについて、言い訳できることは何もありません。
おわびすることが皆さまの心情を害するのではないかと悩んでいるうちに一年が経過してしまいました。遅々として進まない裁判に皆さまの怒りも限界ではないかと考え、謝罪すべきだという結論に至りました。
謝罪する意思は本当に自分の感情なのか、ということをいろいろ考えましたが、反省している自分が存在していることは否めません。きれい事を並べた謝罪文のような形式だけの謝罪は皆さまへの冒瀆でしかなく、本心からの謝罪なのか、自問しながら書いています。 私には事件の記憶がほとんどありませんが、やったことに間違いはなく、罪から逃れるつもりはありません。私の非はすべて私の責任であり、その責めはすべて私が受けねばなりません。
私の非は、皆さまに通常ではあり得ない苦痛を与えたことです。人生を変化させたり、断ち切ったりしたことです。皆さまの人生を壊してしまい、取り返しのつかないことをしたと思っています。
家族や友人を理不尽に奪われる苦痛を想像すると、私の唯一の居場所だったネット掲示板で、「荒らし行為」でその存在を消された時に感じたような、我を忘れる怒りがそれに近いのではないかと思います。もちろん比べられるものではありませんが、申し訳ないという思いが強くなります。
被害を受けてなお、私に同情を示してくれるような方を傷つけてしまったと思うと、情けなくて涙が出ます。一命はとりとめたものの、障害が残った方にはおわびしようがありません。
どんなに後悔し、謝罪しても被害が回復されるはずはなく、私の罪は万死に価するもので、当然死刑になると考えます。
ですが、どうせ死刑だと開き直るのではなく、すべてを説明することが皆さまと社会に対する責任であり、義務だと考えています。真実を明らかにし、対策してもらうことで似たような事件が二度と起らないようにすることで償いたいと考えています。
いつ死刑が執行されるか分かりません。死刑の苦しみと皆さまに与えた苦痛を比べると、つりあいませんが、皆さまから奪った命、人生、幸せの重さを感じながら刑を受けようと思っています。
このような形で、おわびを申し上げさせていただきたいと存じます。申し訳ありませんでした。

加藤は自分の起こした事件に対し、「胸をえぐられる思い。何度申し上げても仕方ないが、大変申し訳なく思っている」と謝罪の言葉を述べ、「事件当時は被害者のことに頭が回っていなかった。私が殺した方、傷つけた方、ご遺族の方ひとり一人がどういった方か、どんな思いなのか、自分の中に取り込み、申し訳ないという気持ちを持ち続けたい」とも語っている。


そして、初公判から30回に及ぶ審理を経て2015年(平成27年)に死刑判決が確定し、2022年(令和4年)に東京拘置所で死刑を執行。

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